縁側
2009/10/07 14:51
昔住んでいた築50年の平屋のトタン屋根にあった縁側は縁側いっぱいに太陽の陽が降り注ぐ感じで子供の私はその縁側で座布団を枕にして昼寝するのが好きだった。
でも、高校生の頃に立て直した2階建ての家の1階に造られた縁側はキレイだけど狭く細く居心地の良い空間ではなくお日様の照り具合も鋭角で縁側いっぱいに降り注ぐ様な陽ではなかった。
やっぱり2階建ての1階と平屋間取りの家ではこういったお日様の当たり方が根本的に違うんだろう。
それとも私が小学生の低学年だったから縁側が広く感じたのかな?
ただ、絶対的な日射量はやっぱり平屋で建てた家の縁側の方が断然多いと思う。もし、この先、もう一度、一軒家をかまえることが可能ならやっぱり平屋間取りの住まいを持つことでしょう。
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平屋の家
2009/01/13 01:03
平屋の家は色んな夢をカタチにしてくれる魔法の効果がある様に最近は感じる。
間取りが平屋ってつまり1階だけで階段のない家のことなんだけど最近はそれだけとも言えない場合が多い。平屋であっても屋根裏部屋へのハシゴがあったり、グルニエをベッド置き場にしたり、はたまた秘密基地にしてみたりと…ってこれは最近じゃなく昔からある愉しみの王道的なカタチですね(笑)。
平屋の家に最近よく使われるエッセンスは「プロバンス風」であるとか「アメリカ間取り」とか「北欧間取り」などの西洋のデザインや間取りを取り入れた「〜風の平屋間取り」という飾り方だ!これが結構斬新な雰囲気で威勢堂々の雰囲気であったはずの平屋の家が「エレガンスで洒落た寛ぎの空間」といった様なコトバが似合う住みかに変わってしまう。
加えて造り付けの家具やアンティークな南フランスの家具、輸入雑貨などが家中に配置されるとこれはもう今までの日本の家ではなくなってきちゃう感じですよぉ。
ちょうど歌謡曲に飽きた人達がニューミュージックや小室ファミリーの楽曲に心惹かれ日本の音楽シーンに様々なジャンル(ラップやレゲエ、サンバにボサノヴァ、パンクやダンスミュージック)の良いところを取り入れていった様な経緯と同じ様な流れが家造りにもドンドン流れてきている様に感じてしまいます。
でもね、やっぱり古風な平屋の家が大好きな私としてはあまり色々な装飾デザインに目移りして欲しくない気もしています。世の中は変わって良い部分と変わってしまったら良さがなくなるモノも存在します。
平屋の家で日本古来の古民風や数奇屋造りの間取りって「変えないほうが良いモノ」だと思っています。日本の心を芯に持つ平屋の家が未来においても伝承されていくことを強く切望します。
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平屋の家
2008/12/04 23:31
最近、南仏のプロバンス風の家にとても惹かれています。まぁ
平屋間取りかどうか?はわかりませんが結果的にプロバンス風の気に入った家が平屋の間取りだったらそんな外観で建てるのもおしゃれで粋じゃないかな?と思っています。まぁそうは言っても直ぐに家を建てられる当てなど無いので思い描いて空想の世界で楽しんでいるだけなんですがね。
しかし当サイトを立ち上げた当初は平屋の古いトタン屋根の家について色々と日記を書いてきたのに、いきなり、何で?プロバンス風なんてフランスまで次元が飛んでしまったんだろう?管理人も不思議ですが「良いものは良い」のであまりきにしないで記事を書き進めていこうと割り切っています。
平屋でなくても間取りはその街の景観に合致していれば問題なく、別にコテコテのプロバンス風の家である必要も無いんです。つまり、平屋という間取りは好きで、プロバンス風の外観も好きなんです。そういった意味で結果的に「平屋の間取りでプロバンス風の外観を持つ家」が欲しくなってきている最近の管理人です。
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平屋の家
2008/11/25 23:08
最近わたしの娘は一戸建ての家に住みたがっています。でも、
平屋間取りでなくて二階建ての間取りの家が良い様です。親の心、子知らずとは…。(使い方が間違っていますね。親の我侭、子は無視といったところか!)
わたしの家は一応、平屋の間取りです(マンションの2階だけど)。
最近は幼稚園のお友達の家に遊びに行く機会も増え、
『○○ちゃん家みたいな2階のおうちが良い!」と自転車の後ろで良く話しをしてくれます。子供って2階に自分の部屋を持つのがとってもグレイトなステータスに映るんですよね。事実、わたしも幼少の頃はただ只管2階建ての家に住むことに憧れていましたからその気持ちは良くわかります。
ただね、現実的にはマンションのローンが35年もあるわけで、そう簡単に平屋の間取りの家や2階建て間取りの
一戸建てに移り住むことは難しいんです。でも、子供はそんなこと関係ないですね(笑)。
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平屋の家
2008/06/24 01:35
家は平屋の間取りが理想!と思っている42歳のおっさんです。
人は無いものネダリなもので平屋のトタン屋根の家に住んでいた幼少の頃は2階建ての家に憧れたのに、大人になってから2階建ての家を持つと、ある日、ふと、平屋の家が恋しくなってしまう。なんとまぁ身勝手な生き物なんでしょうね(笑)。
私は現在平屋間取りの区画の中で生活しています。9階建てのマンションの2階にある平屋の間取りです(笑)。
一応4LDKなんでそこそこ広いのですが、一戸建てとマンションの絶対的な差である「収納」にはいつも手を焼いています。マンションって本当に収納スペースが少ないです。子供が育つと「わけのわからないおもちゃの小物」が信じられないくらいに大量に増えてきます。で、「捨てちゃダメ!」と来た日には整理整頓なんて出来たモンじゃありません。
最近、レンタル倉庫に人気があるのがとてもわかる気がします。
平屋の間取りで建てた一戸建てに引越しがしたいものです…。
思い出
2007/12/12 23:55
私が住んでいたトタン屋根の
平屋の家の東側にケヤキの木がありました。そう言えば父が良くノコギリで枝降ろしをしていた事をよく覚えています。
雨が降った後にそのケヤキの木のところに行くとアマガエルがいつもいたな〜。
多い時は5匹くらいちっちゃいのがピョンピョンと…。丁度「ド根性ガエル」がリアルタイムで放送されていた時期なので「ピョン吉」とか言いながら追っかけていたのを思い出します。
そう言えば、子供の頃ワルサをして母親に縛られたっけ、このケヤキの木に。
私が高校生の頃に平屋の家も、煙突の、外にあったトイレも全部取り壊されました。勿論、このケヤキの木も切り落とされ根っこまで抜かれました。今にして思えば、人間の勝手な都合でこのケヤキの木から生を奪ってしまった事がに罪悪感すら感じます。木はもしかしたら地上で一番長寿の命かも知れないのに。
平屋の家
2007/12/07 02:14
2階建ての家に憧れはあったか?と言えば不思議と私はあまり無かったです。
高校生の頃に築50年の
平屋の家を取り壊し2階建ての家に建替えしたんです。
その時、兄と姉はコゾッテ2階の部屋を取り合いました。
私はと言うと、そう、
おばあちゃんが寝ていた間取りのあたりの1階の部屋を貰いました。
確かに2階の部屋に住むというのは少しだけ憧れに似た気持ちはありました。
でも、1階の部屋の方が落ち着くんですよ、私は。
新築した家の私の部屋は1階の北東の隅の部屋だったので家の裏口から友達がよく
ひょっこり遊びに来たものです。どうも玄関からだと入り難いんですが裏口からだと
そんなに仲が良いわけでも無い友達までちょくちょく来る始末。
そんな感じで私の高校時代は親が知らない間に私の部屋に友達が数人居たなんて
ザラにありました。
プレハブ
2007/12/03 00:00
私が中学生になった頃、母屋の隣に勉強部屋を建ててもらいました。兄弟が3人いたので私は姉と二人で6畳を共用する事になりました。兄は当時高校生で6畳を一人で使っていました、「ズルイ!」、子供心にそう思ったものです。
プレハブ 平屋の勉強部屋、という名目でしたが私のとっては「姉が居ない時は自分だけの空間」だったのでとても嬉しかった記憶があります。一応、建前上は勉強もしていましたが、文化放送の「青春大通り」を聞いたりして楽しく一人の時間を満喫していたものです。
当時のお金で15万円〜30万円くらい係ったと思います。親は本当に大変だと思います。
あの頃のプレハブの家は物置や勉強部屋という用途で基礎もいい加減で、と言うよりブロック3段くらいの上にプレハブの家を載せただけという造りでした。まぁよく台風の時に無事だったと思います(苦笑)。「住む」を想定していなかった様ですから仕方ないのかも知れませんがね。
でも、最近は家族が住める家としてもプレハブの家は十分有効な様ですよ。
縁側
2007/12/02 00:00
子供の頃、縁側は大好きでした。
縁側でお日様をイッパイに浴びた座布団の臭いが大好きです。今も。
座布団はよく縁側でごろ寝した時に枕にしていたもので、子供心に
太陽の光の気持ち良さを本能で実感していたのでしょう。
私は縁側と言えば「おばあちゃんの足揉み」が一番印象的です。
幼稚園に行く前から縁側でおばあちゃんの足揉みを毎日頼まれたものです。
今の時代じゃ考えられない事ですが、昭和40年代の中頃ですからそういう事も
あったんですね。
毎日おばあちゃんの足もみをして、毎日お小遣いを10円貰って、
毎日近所の駄菓子屋にベビースターラーメンを買いに行きました。
今、その頃のベビースターラーメンが復刻版で発売しているんですよ。
先日、妻が買って来て一緒に食べました。美味しかったです。
煙突掃除
2007/12/01 00:00
煙突掃除は、「僕とおとん、時々おかん」的な思い出に残る行事でした。
マキをくべて燃やしお風呂を沸かすので煙突のスス落としは日常的に必要なメンテナンスです。
家の外に出て煙突の鉄片の滑車にひっかっている鎖を手元に引くと、
煙突の下のほうから上に掃除する芯が上に持ち上げられて、
煙突内側に溜まったススを落としてくれます。
10分くらい煙突掃除をすると、
煙突の下側、つまりマキを燃やすところにたくさん灰が溜まります。
この灰をほうきとちりとりで集めてそれを庭の植木や樹木の根元に撒きます。
こういった一連の作業は子供の頃によく父と一緒にやりました。
今は他界してもういませんが、父との思い出の一つとして煙突掃除は
いまでも良く覚えています。
おばあちゃん
2007/09/28 00:00
おばあちゃんは家の北東側の6畳の畳の部屋で殆ど寝たきりでした。それでも時々起きてきて縁側で椅子に腰掛け日向ぼっこしていました。
よく覚えていませんが確か80歳くらいで無くなったと思います。私が10歳の頃でした。
明治の女で良く言った口癖は、
「親の言葉となすびの花は千にひとつも無駄がない!」という言葉でした。
最も、この言葉を言われていたのは息子である父親と嫁の母親でしたが。
そんな訳でおばあちゃんは家の主で、
私の父親は給料袋を毎月おばあちゃんに渡し、
そこから小遣いや生活費を貰っていたのです。
今じゃ考えられない事ですけどね。
そんなおばあちゃんが何時も寝ていたのが、
平屋の家の北東に位置する6畳の畳の部屋なのです。
平屋の家
2007/06/25 00:00
築50年の
平屋 間取りの家に私は住んでいました。エンジ色のトタン屋根の上をよく走ったものです。けやきの木が家に寄り添うように立っていたので木登りをすれば簡単に家の屋根の上に登る事が出来たのです。
平屋のトタン屋根なもので、歩くのは勿論、走ってもあまり危なくないんです(十分危ないはずなんだけど)。
実際に屋根から滑って落ちた事は一度もありませんが、屋根の上を走るたびに母親に怒られたのは今でも良く覚えています。怒られても楽しかったなぁ。
私の家は玄関入ると土間でその奥に台所がありました。その右手がお風呂へ続くドア(外)で右手が茶の間でした。
茶の間の奥が6畳の寝室で、またその奥がおばあちゃんの部屋で直ぐ隣にトイレがありました。
トイレに行くには必ずおばあちゃんの部屋を通らなければなりません。ちなみにおばあちゃんは殆ど寝たきりでした。
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猫
2007/04/22 00:00
おそらく延べ3年くらいは飼っていたと思いますが私の家には猫が居ました。小学校の低学年の頃に親戚の家から子猫を貰ってきて小学の高学年になる頃には家にもう居なかったと思います。
何故、猫が家から消えたのかは当時はよく分かりませんでしたが、「捨てた」様です。
今にして思えばそれ以来、動物は一切飼わない様になりました。
猫を捨てる原因になった事件は他愛無い事なのです。
父が酒に酔って急に外の物置に行き「ナタ」を持って家に入ってきたのです。何が原因だったのか小さかった私は知る由も無いのですが、その「ナタ」で猫の首を跳ねるというのです。姉と母が必死で止めた光景は未だ覚えています。
その時は何とか収まりましたがそのままでは何時「猫」が殺されるか分かりません。考えた母が泣く泣く遠くの方へ捨てに行った様です。昭和50年前後の話です。
そんな私も当時の父の年齢に近づいてきています。家族の事、お金の事、仕事の事、子供の事、そして自分の事と背負うものが増えて上手く行かないと、時々何もかも壊したくなる衝動に駆られる事もあります。きっと「魔が差す」という奴なんでしょう。ですからその行為は許せませんが、その行為に至った気持ちはなんとなく理解出来ます。
猫の白は一度だけ庭先に姿を現しましたがそれっきり二度と姿を見せなくなりました。
動物を飼う事は暫くしなかった私ですが、今、家には犬が居ます。8歳の♀なのですが天寿を真っ当するまで大切に可愛がろうと思っています。
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