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『父を国会から追放してください!』 東寺弘法
ジャ−ナリズム
公開日:2008/04/20 02:32
『父を国会から追放してください!』 東寺弘法
第九章の一
当日、選挙事務所の幹部たちは時間が迫れば迫るほど、聴衆が集まるかどうかハラハラだった。
過去に一度も選挙区に入ったことがない。顔を知る後援者が一人もいないのだ。それどころか、鈴野広夫が女性スキャンダルや元後援会長の死因に疑惑あり、などと何か月間にも渡って報道されたことで民自党の公認が得られず、当選は厳しいと報道する新聞、週刊誌がほとんどだったからだ。
選挙区の口の悪い連中は、鈴野広夫が危ないというので、慌てて選挙民に泣きつきに来るんだろう。いままで選挙区に来なかったのは我々を馬鹿にしているからだ、鈴野は自分が演説などすると、マスコミの餌食になるものだから女房を出すんだろう、などと吹聴して歩くだけでなく、怒った電話、嫌がらせ電話も、一日、五人や十人ではなかったから心配は募る一方だった。
ところが、当日、会場となった小学校の講堂は、紀久子夫人初登場の情報を聞きつけたテレビカメラが十数台と記者、カメラマンだけで五十人を超えていた。
開演時間前には、新聞や、テレビで鈴野紀久子を見たらしい女性で三百席は早くも埋まった。
時間が迫るにつれ、勤め帰りに駆け込む女性たちが増え、椅子に座れない人達は会場の壁際に座り込んだり、立っている人達も出だしたために、急遽三百もの椅子を追加することになった。
ワイドショーや新聞でしか見たことのない紀久子夫人の実物見たさか、テレビでも見たことない人たちは、不倫を繰り返された奥さんはどんな顔をしているのか、鈴野を憎くくはないのか、鈴野に泣かされて可哀想な奥さんに応援したい、などなどそれぞれの思いで集まったようだ。
婦人部の集会なのに中年男性と老人男性も十数人いる。恐らくその何人かは敵方の支援者だろう。挨拶の途中に野次って、集会の邪魔をするために来ているのは間違いない。
案の定、早くも、
「オイ、相当集まったな。鈴野の今回の選挙で一番多いんじゃねえのか」
と露骨な男の声が聴こえてきた。
「怖いもの見たさってこともあるぞ。フフフ」
「うちの古女房みたいに、ブスだったりして、ガハハハ」
中年男たちの嫌みな笑い声が腹立だしい。
後援会青年部の部長が開会を告げた。
と同時に、数台のテレビカメラのライトが舞台の袖を照らした。カメラのフラッシュが連続する。
舞台の袖から白いスーツ姿の鈴野紀久子が姿を見せた。会場に深い一礼をして、ゆっくりと演台の側の椅子に歩み寄った。
会場は水を打ったようになった。突然、舞台に白い百合が咲いたようだった。瞬間的に、風に立つ秋桜を思い浮かべた人もいた。いや、ある人は、白鷺が舞い降りたと錯覚した者さえいた。
「オウ、オウ・・・」
「ホウ・・・」
感嘆の声が会場のあちこちから上がった。
紀久子の白のスーツの左胸に薄紅色の秋桜が、一輪挿されていた。紀久子は、用意された椅子の横に立ち、正面を見詰め、右、左、正面三方に深々と頭を下げた。そのまま頭を上げようとしない。椅子に掛けようとしない。
「奇麗ねぇ」
「あんないい女を女房にして、鈴野は何で・・・」
「素敵だわ、品があって」
「秋桜そのままよ!」
溜め息に近い囁きと、ざわめきが会場に広がった。
いつまでも頭を上げない紀久子夫人に、慌てた司会者が、
「鈴野夫人、どうぞ椅子にお掛け下さい」
と声をかけた。が、それでも、紀久子は頭を上げようとしなかった。細い肩が微かに震えているのが、聴衆にもはっきりと見えた。
見兼ねた選挙対策委員長が前座を始めた。
「今回、鈴野広夫は、民自党の公認は得られず、本当に厳しい戦いです。まだ、当落線上にもありません。ですが、これまでの鈴野の地元への貢献と、これからますます人口が減少し、過疎化する石川県に、金沢に歯止めをかけるには、新人では無理なんです! 次は、大臣も約束されている鈴野広夫を当選させて下さい!」
と訴え、
「本日は、鈴野候補の紀久子夫人が、初めて皆様の前にご挨拶に参りました。いままで選挙区に顔を出さなかったのは、鈴野候補自身から、選挙区に入るなと厳命されていたようです。
今回は、鈴野が本当に苦しい戦いをしている、嫁として、妻として、何としても主人の力になりたいと、事務所に詰めてお茶くみと下足番をしています。
後ほど、夫人からご挨拶をいただきますが、これまでの鈴野広夫の数々のスキャンダルで、どれほどの辛さ、苦しみを耐えて来られたか・・・ここにお集まりいただいた、暖かい女性の皆様なら、その苦しみが理解できると思います。どうか、それをわかって上げてください」
と紀久子を紹介した。
次に、地区代表の婦人から、出席者への御礼と訴えがあった。その間も会場には次々と人々が集まって来ている。
気がつけば追加した三百の椅子も埋まり、会場の壁際に椅子のない人たちがびっしりと立ち、足の踏み場もない状態になっていた。すでに八百人を超えているようだ。
いよいよ紀久子となった。司会者から紹介され、マイクを渡された紀久子は演台に立たず、自分用に準備された椅子の横で漸く顔を上げた。
顔に血の気がなかった。
そうだろう。生まれて初めて千人近い人の前で、マイクを手に話をしなければならないのだ。
注目が一点に集中した。咳払い一つない。

