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抽象思考の価値評価
Editors' Toolbox
公開日:2007/08/20 23:54
「抽象思考」は金になるか?
8月20日付の日経新聞朝刊の<経済教室>で、先進国で広がる所得格差の主因を、1980年代以降のコンピュータ化の進展による「労働需要の二極化」にもとめる、デイビッド・オーターMIT準教授の解説が掲載されている。定型的な事務労働をコンピュータが代替していった結果、「抽象思考が必要な仕事」をする(高賃金)労働者とコンピュータにも機械にも代替させにくい「労働集約的な仕事」をする(低賃金)労働者に分化し、中間層が空洞化しつつある、という議論である。
恥ずかしながら、情報に関する仕事では、新聞の切り抜き、コピーとり、手書き原稿の清書やテープ起こしなど、抽象度の低い労働集約作業を含めてほとんどの種類を経験し、またこの四半世紀あまりのコンピュータ化(むかしはOA化と言った)の進展を目撃してきた者として、この問題には関心が強い。
コンピュータの価格低下が定型的な労働への需要を減らすという予測は、すでに80年代にOECDのホワイトペーパーなどで読んだ記憶がある。しかし、バブルに至る経済の持続的拡大は、それを覆い尽くしていたし、そもそも定型的労働と(抽象思考を要する)非定型的労働の分化は、コンピュータ化の圧力がないと意識されにくいものなので、日本ではあまり問題にされてこなかった。さらに日本の場合、コンピュータにつながる業務の定型化への抵抗勢力が強く、またバブル期などもあったために、変化は米国より10年ほど後れて始まり、急速に始まったような気がする。たしかにこの5年の変化はものすごい。
企業文化、労働慣行などで比較すると、欧米の「組織主義」に対して、日本は「集団主義」という傾向が強い。組織主義は機能を重視し、プロセスや組織に関しては柔軟であるが、集団主義は有機体としての組織の生存を最重視する。企業としての統合力が弱ければ、機能も軽視される傾向がある(昨今の自民党や相撲部屋はその典型といえる)。集団主義のもとではプロフェッショナルが育ちにくい。逆にうまく動機づけがなされれば、全員参加の強い「現場力」を発揮し、なまなかなトップダウンよりも高い「全体最適」を達成しえたという実績もある。実際には、そうした現場はそう多くなかったが、バブル以前の日本は、そうした「日本的経営」を神話の域にまで高めていた。
「空白の10年」の後、日本的経営は「会社社会主義」だ、時代遅れだと批判され、逆に市場原理主義的な実績主義が無慈悲に導入され、現場のモチベーションも奪っていった。80年代以降のコンピュータ化は、一見米国と同じように経験したようでいながら、「抽象思考が必要な仕事」とコンピュータ化が可能な定型的事務労働の分化は、徐々に、そして自覚的に取組まれたわけではなく、“ベストプラクティス”を標榜するERP、CRMなどのプロセス指向のパッケージアプリケーションの導入によって急激に進行していった。その結果、アプリケーションを駆使してパフォーマンスを追求すべきマネージャーやエキスパート、つまり「抽象思考」の担い手も、彼らが活躍できる環境も存在しないという事態に直面している、というのが現状ではなかろうか。
集団主義の悪い面は、危機に際して異質性を排除しようとするところである。リーダーのいない集団は内向きになるしかない。「抽象思考」がとくに必要になるのは、環境が変化する中で柔軟に問題解決を発想し、設計し、ステークホルダーとコミュニケーションをとりつつ実現する仕事である。エキスパートということだが、経営者こそ、そうしたエキスパートの代表でなければならないだろう。
ちなみに、私的な実感としては、もっぱら抽象思考を駆使する仕事が多くなって以降、そしてコンピュータによって支援されることが多くなって以降、労働時間は伸び、収入はますます低下している。
David Autorとそのパートナーの論考は、以下で詳細を知ることができる。
The Skill Content of Recent Technological Change: An Empirical Exploration, David H. Autor, Frank Levy, Richard J. Murnane, NBER Working Paper No. 8337, Issued in June 2001
How Computerized Work and Globalization Shape Human Skill Demands, Frank Levy, Richard J. Murnane, 9/18/2005
同論文を引用した日本語の資料としては以下がある。
「ハイパフォーマンス・ワークプレイス−ICT時代の生産性向上を目指すのに大切なものとは」永綱浩二、ITマネジメント、日経BP


