
メディアの未来
2010/03/14 17:50
技術革新を促進するジャーナリズムをスタンフォード大学が提案し、
北欧を出発点にEUやメキシコ、アジアにまで広がり始めている。
●電球が広まるためには社会の認知が必要だった
前回、英語版ウィキペディアには新奇な「何とかジャーナリズム」がいろいろ並んでいると書いたが、イノベーション・ジャーナリズムというのもあった。
耳慣れない「何とかジャーナリズム」のウィキペディアの項目は簡単な説明しかないものが多いが、この項目はけっこう充実している。略して「インジョ」と呼ぶそうで、この項目からリンクを張っている説明文書も長大なものが多い。
イノベーションというのは直訳すれば「革新」だが、革新陣営などというときの「革新」というより「技術革新」の意味のようだ。イノベーションが通常、ビジネス、科学技術、政治それぞれの側面から別個に報道されることを問題にしている。報道機関の内部でもそれぞれの分野はセクションが別で、お互いに侵蝕しないようにしている。しかしそれではダメで、イノベーションがいかに起こるのかを横断的にとらえる必要があるという。
03年にスタンフォード大学がプロジェクトを立ち上げ、関心のあるジャーナリストを集めてこうした報道について研究し、実践を広げている。
たしかにきちんと報道されることできちんと認知され、発展していくということは何によらずある。
電球の技術は40年も前からあったが、エジソンがビジネスモデルを明確にすることで投資が集まり、商業的に成功したという。
この試みを始めたスタンフォード大学の研究者は、こうした例を引いて、広い認知を得ることがいかに重要かを説明している。とくに情報が氾濫し、アテンション・エコノミーなどという言葉が生まれ、人の注意を引くことの重要性が高まっている。そうしたときには、こんなジャーナリズムがいよいよ必要になっていると述べている。
●イノベーション・ジャーナリズムと北欧社会
高福祉社会を維持するために経済発展が是が非でも必要と考えるスウェーデンやフィンランドなどの北欧諸国が、スタンフォード大学と協力して、こうした教育プロジェクトを始めた。その後EUなどでもカンファレンスが開かれ、スロヴェニアやメキシコ、そしてアジアでも経済発展に意欲を燃やすパキスタンなどが国ぐるみのプロジェクトを始めている。
フィンランドのイノベーション・ジャーナリズムのサイトにはこう書かれている。
「変化が、社会におけるほとんど唯一変わらない要素になったときには、ジャーナリズムはことさらに変化のジャーナリズムでなければならない。イノベーション・ジャーナリズムの目的は、未来社会の仕事をできるかぎり透明度の高いものにすることにある。
イノベーション・ジャーナリズムは技術発展に関心を持つとともに、社会の変化にも関心を向ける。これらふたつは深く関わっている。技術発展は、それを容易にも困難にもする社会基盤のなかで起こる。その一方、新しい技術は、よくも悪くも社会の変化を促進する。そこには勝者も敗者もある。
恒常的な変化は、生活をストレスの多いものにする。それがうまくいくのは、勝者が敗者に対して責任を持ち、最終的にはみんなが勝者になるという信頼感を持つことができるときのみである。イノベーション・ジャーナリズムが北欧の福祉国家のゆくえについての議論と結びつくのは、こうしたことのためだ」。
これを読むと、なぜ北欧社会が関心を持ったのかがよくわかる。
北欧は競争のない福祉社会ではない。競争を促し、先行きのない業界や企業には退いてもらう。基本的に、日本のように困っている業界や企業を助けることがないかわりに、社会のセーフティ・ネットを手厚く張りめぐらす。職を失った人には教育や訓練の機会を無料で提供し、生産性の高い新たな産業に人も投資も向ける。そのためには、新たなイノベーションの芽をいち早く見つけ、認知を広める必要がある。イノベーション・ジャーナリズムはそのために役に立つというわけだ。
●次の可能性につながる「弱いシグナル」の見つけ方
こうした発想のもとに行なわれた研究には、たとえば、「弱いシグナル」を発見するにはどうすればいいのかといったものがある。
ビジネス・ニュースは、しばしば新たな可能性につながる弱いシグナルを見過ごし、その一方バブルを助長する。ビジネス記事の書き手は、一記事にひとつのシナリオしか描かないので、そうしたことが起きる。企業も社会も、誰でもわかる強いシグナルではなくて、新たなトレンドを作る弱いシグナルを発見しなければならない。
たしかに、日本が勢いのあるときには、その繁栄がいつまでも続くかのようにメディアは書きたてた。潮流が逆になればまた同じことの繰り返しだ。エコノミストたちも、経済が絶好調のときには不景気になると言いにくいし、また逆に、先行きが暗いと思われているときに「未来は明るい」などとは言いにくい。ところが、言い出しにくい方向に世の中が向かうことも多い。
この研究は、弱いシグナルを見つけるにはどうすればいいのかを、実際の新聞記事を分析して実証的に示している。
弱いシグナルを見つける方法は、言われてみればそのとおりという気がする簡単なものだ。「記事の最後に注意を払え」というのだ。強いシグナルは見出しなどに書かれていることが多いが、弱いシグナルはしばしば文末に書かれているのだそうだ。
顕著な例は冒頭に書き、見出しにもするが、どうなるかわからない「弱いシグナル」は、こういうこともあるかもしれないと最後に書くというのはたしかによくあることだ。もちろん最後に書いたことも何の兆候もないわけではないが、大々的に書くほどの確証や自信はない。とはいえまったく無視するのもどうかなということだったりする。それこそがまさに「弱いシグナル」というわけだ。
そこに注目すべしというのは、言われてみれば当たり前のことだけれど、書き手の心理を突いていておもしろい。
イノベーション・ジャーナリズムなどというと新しい気がするが、実際はたとえばアスキーなどの雑誌が以前からやっていることだろう。IT全体からパソコンの新しい機能といったものまで、可能性に富む「兆し」を見出し、紹介するという形でイノベーションを促進してきた。
少し前のことで言えば、「クラウド」なども、グーグルのCEOが言い出し、それをあちこちのメディアが取り上げて新しいトレンドになった。クラウドはいまはもうどちらかと言えばバブル的な取りあげ方になってきたような気もするが、ともかくコンピューター雑誌などは、ずっとイノベーション・ジャーナリズムをやってきたとも言える。しかし、名前をつけてみると、こうした報道の意味がはっきりしてくることは確かだ。
afterword
何かの役に立つジャーナリズムというのは、じつは正統派ジャーナリズムから嫌われてきた。権力の監視や真実を伝えることそのものに価値があり、「何かのため」と考えることはすでに偏向しているというわけだ。このイノベーション・ジャーナリズムがおもしろいのは、こうした伝統的なジャーナリズム観と大きく異なっていることだ。
関連サイト
●イノベーション・ジャーナリズムの創始者デヴィッド・ノードーフォース・スタンフォード大学イノベーション・ジャーナリズム研究センター長のサイト(http://www.innovationjournalism.org/)。
●フィンランドのイノベーション・ジャーナリズムのサイト(http://www.innovaatiot.fi/)
●「弱いシグナル」に注目すべきとその見つけ方を説いているTuro Uskaliの論文’Paying Attention to Weak Signals’ (http://www.innovationjournalism.org/archive/INJO-2-11.pdf)
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.620)
この記事の »トラックバック 一覧
じつはいろいろある「何とかジャーナリズム」
デジタルとマスコミ
2010/03/07 12:19
ジャーナリストというのは、
いまや名乗るのがためらわれる言葉になってしまっているが、
その一方、新たなジャーナリズムが次々と生まれている。
●仕方がないから名乗る名称がジャーナリスト
日本やアメリカのジャーナリズム運動についてこのところ書いてきたが、「ジャーナリズム」とか「ジャーナリスト」が日本のどこに存在しているのかは、けっこうむずかしい話だ。
インターネットはマスメディアではない
デジタルとマスコミ
2010/02/22 13:37
●報道機関がターゲットになって世論形成が行なわれる
このところ90年代以降にアメリカで起こったジャーナリズム運動の流れをたどっている。
報道機関が市民と向き合ってその意見を積極的に採り上げ世論を作る「シビック・ジャーナリズム」という運動は、全米で少なくとも2割の新聞社がやったと報告されている。しかし、コストも手間もかかることからしだいに衰退し、ウェブを使った市民記者の運動に変わっていった。さらにジャーナリズムということを意識しないブログやSNSなどによる情報発信がさかんになって、CGM(消費者が生んだメディア)などと呼ばれるようになった。その一方で、新聞の衰退にともなって、ハイパーローカルなメディアが地域 の報道を担い始めた。
アメリカでのこうした流れをたどってみると、日本のウェブで起こっていることがよりはっきり見えてくる。
シビック・ジャーナリズムは、必要とあれば市民がアクティヴな役割を果たし変化を起こす活動だったが、いまでは報道機関を介さずに行なわれてい る。こうしたことを象徴する日本での事件は、08年に起こった毎日新聞の英語サイトをめぐる出来事だろう。とんでもない性風俗が日本では一般化しているか のような記事が載っていたことから2ちゃんねるの既婚女性のスレッドなどで批判が始まり、広告主の企業に「電凸」が行なわれて広告掲載が見あわされるまで に拡大していった。
これと似たことはこの年の前半、韓国でも起こっていた。
米牛肉の輸入に激しい反発が起き、韓国の三大紙が「冷静な対応」を呼びかけたところ猛反発が起き、広告企業がターゲットになって掲載広告が激減した。
日本でも韓国でも、「報道機関をよそに」どころか報道機関がターゲットになって世論形成や実力行使が行なわれた。世の中を変える世論形成がマスメディアを経なくても可能であることが、ショッキングな形で実証された。
●「からかい」の対象になってしまった日本の市民記者
メディアの未来
2010/02/16 19:53
アメリカでは、衰退していくマスメディアをよそに、
焼け野原に立つ小屋のようなジャーナリズムが生まれ始めている。
●地道な草の根メディアの誕生
90年代のアメリカで、ジャーナリストたちが市民と積極的にかかわり世論づくりをする「パブリック・ジャーナリズム」の運動が広がったが、結局この運動は失敗してしまったと語る、この運動の中心人物ジェイ・ローゼンのインタヴューを前回紹介した。考えてみれば、この結果は当然かもしれない。
世論作りもジャーナリズムの仕事と思われているが、報道機関は、世論作りによってお金を得ているわけではない。ニュースを送り届けることによって成り立っている。世論づくりではお金にならず、手間もお金もかかる活動が続かなかったというのは不思議ではない。
ローゼンの自虐的な感じさえする前回のインタヴューはいささかショッキングだったが、では、こうした運動はほんとうに雲散霧消してしまったのだろうか。
そうではなかった。
読者減と広告減の二重苦に見まわれ、アメリカの新聞ジャーナリズムは「焼け野原」状態になりつつある。しかし、こうした焼け野原に立つ掘っ立て小屋のようなメディアがネットを使って生まれ始めている。
報道機関に絶望したジャーナリズム運動の理論家
新聞
2010/02/08 12:27
90年代のアメリカで燎原の火のように広まったという
パブリック・ジャーナリズムの運動は、
ネットの手荒い洗礼を受けて、意外な展開に‥‥
●ショッキングなシビック・ジャーナリズムのその後
メディアの未来
2010/02/01 00:19
「市民のためのジャーナリズム」から市民記者ジャーナリズムの時代を経て、ネットの情報流通は、さらなる混沌のなかの活況の時代に突入し始めた。
●市民のためのジャーナリズム
メディアの未来
2010/01/25 01:12
「世界は日本が好きだ」‥‥と思っているらしい
社会
2010/01/17 20:28
アニメにマンガ、ファッションと海外の若者が熱狂する日本文化の魅力がどこにあるのかと考えてみると、「日本は自由だから」ということがあるようだ。
●宗教戒律や軍事独裁をも超える日本のサブカルチャー
社会
2010/01/12 00:05
ハイテクと美少女アニメが融合した国は世界のどこにもない。
となれば、やっぱりこうした独自性を最大限伸ばすのが、
日本の未来を切り開くことになるのかもしれない。
●世界のAKB48!
政治
2010/01/10 17:41
「あらたにす」のサイトに、「直接民主主義の可能性」を寄稿しました。
この記事の »トラックバック/コメント 一覧
新聞
2010/01/04 00:00
崩壊寸前のアメリカの新聞メディアなどが、
「ニュース記事をどんどんパクってください」という
画期的プロジェクトを始めようとしている。
●ニュース1記事あたり平均11の「パクリ」サイトがある!?
検索サイトをめぐる意地と損得をかけた戦い
新聞
2009/12/19 01:48
科学技術の苦難の時代がやってきた?
サイエンス
2009/12/13 18:27
政権交代によって最先端の科学研究も聖域ではなくなった。
世界最速のコンピューター開発の歴史を振り返ってみると、
こうした見直しも必要なのかもしれない。
●科学技術の「公開処刑」
今年も残りわずかになったが、今年最大の事件は、ここ半世紀の日本で初めての本格的な政権交代が起こったことだろう。
その新政権が始めた事業仕分けについて、「公開処刑」だという声があがった。政権交代はちょっとした革命で、たいていの革命では血が流れるが、「血の流れない革命」にふさわしく、「公開処刑」の対象になったのは、人間ではなくて、政府のお金を使っている仕事だった。
革命時になぜ見せしめ的な公開処刑が行なわれるのかといえば、それは、革命に到るまでの人びとの鬱憤が溜まっているからだろう。その鬱憤を晴らすために公開処刑が行なわれる。
日本で溜まっていた鬱憤は、政府が無駄なお金をじゃんじゃん使っているというものだった。自分たちは収入が減り生活のレベルを下げることを強いられているのに、「どうせ出所は税金」とばかりに無意味に使うのは許せない。マグマのようなこうした鬱憤が「公開処刑」への強い支持を生み出した。
「エラそう」になるのはイヤだというマスコミ
新聞
2009/12/06 14:38
新聞
2009/11/29 19:14
有料課金が切り開くメディアの未来
新聞
2009/11/22 16:22
お金を払わないと記事が読めなくなるのはイヤだなと思うだろうが、
悪いことばかりとはかぎらない。
ともかく、そうした新しいウェブが始まろうとしているようだ。
●ニュース記事有料課金会社の皮算用
ウェブのニュース記事に課金するビジネスがほんとうに成り立つのか。
新聞
2009/11/15 11:44
ジャーナリズムを講義している教官が、メディアの仕事の魅力を語ると、
「将来性のない仕事を勧めた」と学生の親に怒られる。
そんな時代になってきたらしい。
●有料課金はメディアを救うか?
「最後の戦い」とはなんと大げさなタイトルかと思うかもしれない。しかし、今回書く試みに失敗すれば、さしあたりアメリカの新聞社には経営の展望がなくなるのではないか。
アマゾンの読書端末「キンドル」をめぐる意外な話
amazon.com
2009/11/07 18:53
アメリカでは、キンドルの成功をうけて読書端末が次々と発売される。
しかしその影には、アマゾンの尋常ならざる戦略があった。
そしてまた問題点も見えてきた。
●キンドル・ユーザーは高齢者?
グーグル
2009/11/01 19:09
無料は未来のビジネスモデルか?
経済
2009/10/24 13:23
「無料が未来のビジネスモデル」という
『ロングテール』の著者の主張には異論も噴出している。
消費者にとって無料はありがたいが、その問題点は‥‥
●デジタル時代に「鉄則」はない?
前回とりあげた、「無料が未来のビジネスモデル」という米ワイアードの編集長クリス・アンダーソンの新著『無料──ラディカルな値付けの未来』には批判がいくつも出ている。