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急成長ニュースサイトの「女王」の華麗な生涯
ハフィントン・ポスト
公開日:2009/10/15 00:00
前回に続いて「ハフィントン・ポスト」について書いた回をアップしていなかったので、これも公開しておきます。
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注目株のニュースサイト「ハフィント・ポスト」の
創立者で編集主幹のアリアナ・ハフィントンは、
調べてみると、なかなかおもしろい人物だ。
●才色兼備のギリシア出身女子大生
アリアナ・ハフィントンは来年で60歳の「おばさん」だが、若い頃はさぞきれいだったのだろうと思わせる容貌もさることながら、あっという間にサイトを急成長させた手腕はただ者ではなさそうだ。
そう思って調べてみたら、案の上だった。彼女の生涯をたどることで、こうしたサイトがなぜできたのかが理解できるように思う。
そのとき運命的な出会いをする。
テレビの音楽クイズ番組の収録で、ジャーナリストのバーナード・レヴィンと出会ったのだ。レヴィンはロンドン・タイムズのコラムニストで、テレビなどにも出演し前年に本も出していた。彼のことを彼女は知っていて、尊敬もしていた。
そのレヴィンと一緒にテレビ出演することになって、21歳のこの女子大生はすっかり舞い上がってしまった。
いよいよ発音不明瞭になり、クイズで答えられたのが不思議なぐらいだったと彼女はのちに回想している。
才色兼備の弁論クラブ会長はそうとう目立つ存在だったようで、レヴィンは翌週、食事に行かないかと誘った。彼は42歳で20以上も離れていたが、二人はたちまち恋愛関係になり、一緒に暮らすようになった。
こうした顛末は、じつは彼女自身が書いている。
2004年にレヴィンが死んだとき、かなり長い追悼文を書いている。これがなかなか泣かせる文章だ。
それによれば、レヴィンは彼女にとって、生涯で激しく愛した男であるばかりでなく、自分の師であり、またものを考えるときのお手本でもあって、圧倒的な影響をうけたという。
レヴィンの「教育」は朝食のときから始まった。
キッチンで広げた新聞や雑誌の記事について激しい喜怒哀楽を表わし、辛辣な意見を述べた。
週末にはコンサートや芝居を見てまわった。
こうして10年にわたる彼の「自由教育」が続けられた。
●自由人の恋人から共和党保守派政治家の妻へ
しかし、二人は結婚はしなかった。
レヴィンは子どもを望まず、結婚する気もなかった。
オペラハウスに通い詰めて暮らしているこの男は、根っからの自由人だったのだろう。
しかし彼は自分のそうした選択を性格的な欠陥、ほとんど精神障害のように見なしていて、そのことが胸を打ったとアリアナは書いている。
大学のときからテレビに出ていた彼女はそのままテレビやラジオのパーソナリティの仕事を続けたが、結婚もしたいし子どももほしかった。
30歳のとき別れる決意をする。
その決断がいかにつらいものだったか、長い時間が経ったいまでもありありと覚えているという。
ロンドンでの二人の生活と仕事はあまりに密接にからみあっていたので、イギリスにいたままでは別れられないと思ったようで、アリアナはアメリカに渡ってしまう。
別れる決心をした1980年に、マリア・カラスの伝記を出し、彼に捧げている。
レヴィンは家族は持とうしなかったが、そのかわり友人とのつながりは大事にした。
各地に散らばる友人の誕生日や記念日を覚えていて、毎年彼らを訪れ、またフランスに借りていた家などに呼んだそうだ。
飛行機をチャーターして50人以上の友人を呼んだこともあるという。
このような暮らしをしている男だから、アリアナがアメリカに渡っても完全に切れることはなかった。
嫌いで別れたわけでもなかった二人は、04年のレヴィンの死の前年まで会い続けた。
しかし、アメリカに渡ったアリアナは、5年後、きわめて「現実的」な決断をする。
石油で財をなした一族の御曹司マイケル・ハフィントンと結婚したのだ。アメリカでもセレブの仲間入りをした彼女は、政治的な保守派からハリウッド人脈にまで交友関係を広げた。
結婚は、両親の次にレヴィンに知らせた。レヴィンは、400人の来賓者や披露宴の手配を手伝ってくれたそうだ。
自分がバージンロードを歩いているときに、結婚して人生をともにしたいと激しく願った男が結婚の手配を手伝ってくれていたわけで、変ではあるが、自分たちには自然なことだったとアリアナは言う。
レヴィンの晩年は、悲劇的なものだった。
アルツハイマーになったのだ。
シェイクスピアを暗唱していた男が、簡単な日常の言葉も出なくなった。
アリアナによれば、88年にはもうおかしくなっていて、サンタバーバラの彼女のところに来ていたレヴィンをロサンジェルスの医者に診せてまわったが、原因がわからなかったという。
死の前年に会ったときには、もう彼女のこともわからなくなっていた。
アリアナは、彼の面倒を見ていた女性から話を聞いていたものの、ひどくショックを受けて部屋で泣きあかした。
ハフィントン家は、ブッシュ一族とも友人関係にあり、マイケルは共和党から下院議員になった。
アリアナは、自由人の愛人から一転、共和党支持の保守派になった。
この結婚生活は12年続いた後、破局する。離婚後、アリアナはリベラル派に転じ、市民運動に邁進する。
お堅い家柄のはずのハフィントの御曹司は、離婚の翌年、自分がバイセクシュアルであることを告白してしまう。
保守派の政治家が同性愛の嗜好を持っていることをカミングアウトしたわけで、当然ながら騒ぎになった。
もっとも本人はほんとうのことを言ってほっともしたようで、その後、同性愛の啓蒙活動などに従事している。
●「ハフィントン・ポストで会話を楽しみたい」
アリアナは、夫のこうした性行を結婚前から知っていたとも言われているが、二人の関係は、離婚後も悪くはないようだ。
彼女はハフィントンの姓を使い続け、マイケルも、元妻のやっているハフィントン・ポストにブログを持ち、そこでもカミングアウトの顛末を語っている。
どうやらアリアナは、別れた恋人や夫とも良好な関係を続けるたぐいまれな才能を持っているようだ。
こうしたいい意味での「人たらし」の性格が、ハフィントン・ポストで、オバマやヒラリーなどの政治家からノーマン・メイラーなどの作家にいたるまで、広範囲の人びとに無報酬でブログを書かせるのに役立っているのだろう。
英米にわたり、政治からメディアの世界まで、政治的にも共和党保守派から民主党リベラルまで幅広い世界を行き来した。
アリアナのこうした人生こそがハフィントン・ポストを生み出したのだろう。
ハフィントン・ポストのドメインのなかに「アリアナ・オンライン」という以前の彼女のサイトがそのまま残っている。そのトップページには、ハフィントン・ポストの表題の下にアリアナの次の言葉が掲げられている。
「大学に入って以来、私はいつも数多くのさまざまな場所で人々と出会い、おもしろい会話をしてきた。その会話は、ディナーの席だったり、出版パーティーだったり、いろいろなグループの友人たちとのハイキングだったりした。ハフィントン・ポストで、私はそうした会話をしたいと思う。政治や本、アート、音楽、食べもの、セックスなど。今日われわれの多くがたくさんの時間を費やしているサイバー・スペースでそれらの話をしてみたい」
afterword
自分の知りあいや友人を動員してメディア・サイトを作るというのは、パーソナルなネット向きのやり方だ。日本でも、残間里江子女史とかならこうしたサイトができるかもしれない。糸井重里氏の「ほぼ日」などもそうしたサイトだが、日本では雑誌感覚のもののほうがありそうだ。
関連サイト
●アリアナのバーナード・レヴィンの追悼文は、ハフィントン・ポストの前に彼女が立ち上げたサイト「アリアナ・オンライン」に掲載されている(http://ariannaonline.huffingtonpost.com/columns/column.php?id=729)。
●ハフィントン・ポストのアリアナのページ(http://www.huffingtonpost.com/arianna-huffington)
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.591)

