記事
ジャーナリストと呼ばれることなんか望んでいないジャーナリズムの時代
メディアの未来
公開日:2010/02/01 00:19
「市民のためのジャーナリズム」から市民記者ジャーナリズムの時代を経て、ネットの情報流通は、さらなる混沌のなかの活況の時代に突入し始めた。
●市民のためのジャーナリズム
以前、共同体志向のジャーナリズムは「パブリック・ジャーナリズム」と呼ばれ90年代のアメリカで燎原の火のように広がったと書いたが、「新聞崩壊」のいま、このパブリック・ジャーナリズムはどうなっているのだろうか。
そう思って調べてみたら、なかなかおもしろいジャーナリズム運動の変遷が浮かび上がってきた。
日本では、ライブドアのサイトなどでPJニュースというのが提供されている。だからパブリック・ジャーナリズムというのはもっぱら市民記者のことと思うかもしれない。韓国で生まれた「オーマイニュース」などはまさにこうした市民記者サイトの代表格で、日本版も作られたが、うまく行かなかった。「オーマイライフ」と名前を変えて存続を図ったが、最終的に昨年、閉鎖されてしまった。
パブリック・ジャーナリズムというのは、こうした市民記者ジャーナリズムだけを指すわけではない。90年代にはむしろ「シビック・ジャーナリズム」と呼ばれるものがパブリック・ジャーナリズムと考えられていた。「90年代のアメリカで燎原の火のように広がった」というのはこちらのほうである。
「人民の人民による人民の政治」と言ったのはアメリカの大統領リンカーンだが、シティズン・ジャーナリズムというのは、「市民によるジャーナリズム」。一方、シビック・ジャーナリズムは「市民のためのジャーナリズム」。市民記者(シティズン)ジャーナリズムは「市民みんなが記者」というわけだが、シビック・ジャーナリズムはあくまでもプロのジャーナリストが中心になって市民に働きかける。
ジャーナリズムは市民のためのものではないかと思うかもしれないが、かならずしもそうではない。
たとえば、選挙では、有権者が知りたいことや解決してもらいたいことではなくて、候補者や政党の主張が報道される。マニフェストにしても、候補者サイドが解決すべき問題点を提示している。だから選挙が終わると、「子ども手当なんか望んでないぞ」とか「高速道路無料化をしてほしいと誰が頼んだ」などということになってくる。
シビック・ジャーナリズムでは、有権者に取材したり、有権者を集めて議論させ、どういう問題があるかを明確にし、それを候補者たちにぶつけたりしている。答えなければ答えないことを明らかにし、有権者側の問題にしたい争点を追及する。
もっとも手のこんだシビック・ジャーナリズムの試みでは、無作為抽出して人口や人種構成に応じた集団を作り、意見を聞いたりもした。
●お金のかかるシビック・ジャーナリズム
父ブッシュが選ばれた1988年の大統領選挙がひどいものだったことに問題意識をもったジャーナリストたちがこうしたことを始めた。政治家や官僚、企業側の発表情報で紙面を埋めず、市民を登場させて彼らの声を取り入れる試みもした。これまでのジャーナリズムが後生大事にしてきた客観性や中立性を捨ててもコミニティの再生や問題解決をはかろうとする。
考え方はもっともなのだが、この運動の弱点は手間がかかることだ。
また市民の声を紙面に反映させたからといって、かならずしも新聞が売れるわけではない。シビック・ジャーナリズムは手間もコストもかかるわりにメリットが少ないという批判が当の報道機関内部からも出た。
有権者の声を集めて選挙の争点を作った結果、投票率が上昇したということはあったようだが、手間ひまのかかるこうした試みが民主主義の前進にどれぐらい効果があったのか、そして当のメディアにどれぐらいプラスになったのかを計るすべはない。
主体になったのは地方紙だったから、資金も十分ではなかった。趣旨に賛同する財団からの資金援助なしでは難しかった。
というわけで、ウィキペディア英語版の「シティズン・ジャーナリズム」の項目では、シビック・ジャーナリズムは、お金も時間もかかり、エピソード的で簡単な仕事ではないので批判もあり、「2003年にはシビック・ジャーナリズム・ピュー・センターが資金提供をやめ、事実上その運動は疲れ果ててしまったようだ」と書かれている。かわりに出てきたのがシティズン・ジャーナリズム、市民記者というわけだ。「今日のテクノロジーを得て、ふつうの人がニュースをとらえグローバルに広めることができるようになって、市民記者運動は新たな生命を吹き込まれた」とウィキペディアは続けている。
しかし、これはあくまでもシティズン・ジャーナリズムの項目の記述だ。同センターもクローズしたものの、ワシントンDCにあるアメリカン大学コミニケーション学部のJラボがその活動を継承している。
とはいえ、Jラボは、「インタラクティヴ・ジャーナリズム研究所」の略称で、シビック・ジャーナリズムという言葉をもはや前面に出してはいない。「ジャーナリズムを今日変えて明日のために再発明する」というのがモットーで、人びとがパブリック・ライフに参加する新たな方法を見つけるためにジャーナリストや市民がデジタル技術を使うのを援助することを目的にしている。
●市民記者ジャーナリズムの彼方
市民記者については(たとえばオーマイニュースでは)寄稿された記事に対する報酬が少ないので、体(てい)のいい割安のメディア経営ではないかという批判が出た。歴史的に見ても、コストのかかるシビック・ジャーナリズムからお金がかからない市民記者へと、パブリック・ジャーナリズムが変化してきた。
そして現在は、その市民記者ジャーナリズムも曲がり角にきつつあるのかもしれない。
市民記者のサイトでわざわざ集まらなくても、ひとりひとりが情報発信しそれが広まっていく仕組みが次から次へと出てきているからだ。
今世紀初めにまずブログが出現した。2006年にオーマイニュース日本版が誕生したときに、ブログがあるのになぜ市民記者サイトが必要なのかと言われたが、その後、動画ならユーチューブ、さらにリアルタイムで動画を流せるUストリームがアイフォンなどの携帯電話でも使えるようになった。また最近はツイッターでリアルタイムの情報が飛び交っている。わざわざ市民記者などという名前を使わなくても、リアルタイムの一次情報が氾濫し始めている。
「主観的な意見を綴(つづ)っている市民記者の記事はジャーナリズムの名に値しない」という批判が伝統メディアから出たが、そもそもジャーナリストと呼ばれることなんか望んでいないと、Jラボのトップのジャン・シェーファーも05年の時点で書いている。
ジャーナリズムなどという言葉を使わずに、一次情報も含めた情報発信がさかんに行なわれている。
シビック・ジャーナリズムからシティズン・ジャーナリズムへと移行し、さらにジャーナリズムという言葉そのものが解体されて、情報が行き交い始めている。
afterword
シビック・ジャーナリズムの理論的な中心となっていた人物のインタビューを読んだら、なかなか興味深い「シビック・ジャーナリズムのその後」が語られていた。次回はそれについて。
関連サイト
●USTREAMモバイルのページ(http://www.ustream.tv/mobile)。iPhoneやノキア、アンドロイドOSのケータイでUSTREAMが使える。
●シビック・ジャーナリズム・ピュー・センター(正確にはPew Center for Civic Journalism)(http://www.pewcenter.org/index.php)。226の報道機関が参加した121のシビック・ジャーナリズムのプロジェクトを援助したというから、このセンターが活動をやめた打撃は大きかっただろう。
●ピュー・センターのシビック・ジャーナリズムについての活動を継承したアメリカン大学コミニケーション学部のJラボ(http://www.j-lab.org/)。時事的な問題をあつかったウェブ・ゲームなどに助成したり、ジャーナリストたちにツイッターの使い方を説明したりと、双方向の仕組みを活かす試みを推奨し、募っている。
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.615)

