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歌田明弘の「地球村の事件簿」maglog版
作者
歌田明弘
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 1982年から92年まで、『現代思想』編集部を経て『ユリイカ』編集長。その後は、フリーで編集をしたり、大学の非常勤講師をしたりしながら、だいたい原稿を書いています。
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インターネットはマスメディアではない

デジタルとマスコミ

公開日:2010/02/22 13:37

ネットではいろいろな出来事が無秩序に起こっているように見えるが、
少し引いて眺めてみると、

日米の違いやメディアの性格が浮かび上がってくる。

●報道機関がターゲットになって世論形成が行なわれる

 このところ90年代以降にアメリカで起こったジャーナリズム運動の流れをたどっている。
 報道機関が市民と向き合ってその意見を積極的に採り上げ世論を作る「シビック・ジャーナリズム」という運動は、全米で少なくとも2割の新聞社がやったと報告されている。しかし、コストも手間もかかることからしだいに衰退し、ウェブを使った市民記者の運動に変わっていった。さらにジャーナリズムということを意識しないブログやSNSなどによる情報発信がさかんになって、CGM(消費者が生んだメディア)などと呼ばれるようになった。その一方で、新聞の衰退にともなって、ハイパーローカルなメディアが地域 の報道を担い始めた。
 アメリカでのこうした流れをたどってみると、日本のウェブで起こっていることがよりはっきり見えてくる。

 シビック・ジャーナリズムは、必要とあれば市民がアクティヴな役割を果たし変化を起こす活動だったが、いまでは報道機関を介さずに行なわれてい る。こうしたことを象徴する日本での事件は、08年に起こった毎日新聞の英語サイトをめぐる出来事だろう。とんでもない性風俗が日本では一般化しているか のような記事が載っていたことから2ちゃんねるの既婚女性のスレッドなどで批判が始まり、広告主の企業に「電凸」が行なわれて広告掲載が見あわされるまで に拡大していった。

 これと似たことはこの年の前半、韓国でも起こっていた。
 米牛肉の輸入に激しい反発が起き、韓国の三大紙が「冷静な対応」を呼びかけたところ猛反発が起き、広告企業がターゲットになって掲載広告が激減した。
 日本でも韓国でも、「報道機関をよそに」どころか報道機関がターゲットになって世論形成や実力行使が行なわれた。世の中を変える世論形成がマスメディアを経なくても可能であることが、ショッキングな形で実証された。

●「からかい」の対象になってしまった日本の市民記者

 CGMによるこうした出来事が勃発する一方で、市民記者はあまり話題にのぼらなくなってきた。
いまから振り返ってみれば、韓国から日本に入ってきた「オーマイニュース」はよくも悪くも「からかい甲斐があった」というのが、ネットの一般的な反応だったのではないか。
 世界で注目されたこの市民メディアは、日本進出にあたり、テレビで名前が知られている鳥越俊太郎氏を編集長にすえた。しかし、日本のウェブのなかでは最 初から浮いていた。そういう意味では、いくらばかにしても傷つく可能性がなく、安全パイのいじめ相手でさえあったのかもしれない。そういう状況では、短い 期間しか続かなかったのは当然だった。
 いまでも活動を続けている市民記者サイトはあるが、オーマイニュース日本版の終焉とともに市民記者への注目度は下がってきたように思われる。

●ラスコー壁画の市民記者

「市民記者」というと肩肘を張った感じがするが、オーマイニュースの標語は英語では「すべての市民はレポーターだ」というものだ。日本語版ではそれを「市民みんなが記者だ」と訳したわけだ。市民記者の注目度が下がろうがサイトがなくなろうが、「誰もがレポートする」というのは続いている。

 こうした面でのエポック・メーキングな出来事は秋葉原の連続殺傷事件だろう。現場にいた人びとがリアルタイム動画も含めて撮影し、それらの映像がネットで流れ、ブログでも報告された。いま類似な事件が起これば、ツイッターで情報が飛び交い、ケータイを使ったリアルタイム動画像によって事件が広まるだろ う。ことさらにジャーナリズムということを意識しない情報発信の時代になった。

 市民記者というと新しく聞こえるが、狩りの絵を洞穴に描いた人類の祖先はすでに市民記者だったと、市民メディアの発展を概観した論文は指摘している。
 この論文は、「市民みんなが記者だ」というのは、宗教改革をやったルターの「すべての人が司祭だ」という主張になぞらえられるとも書いている。宗教改革では聖職者の特権的身分を否定し「万人祭司主義」が唱えられ、生まれたばかりのグーテンベルク印刷術が主張を広めた。同じくインターネットという新しいメ ディアの誕生によって、ジャーナリストの特権性が否定され、「万人レポーター」が実現したというわけだ。

 この論文は、ブログやSNS、オーマイニュースやドラッジ・レポートなどの誕生とその意味をたどったうえで、伝統的なジャーナリズムと市民ジャーナリズ ムの違いは、取材対象としてカバーするか体験を共有するかの違いにあると述べている。伝統的なジャーナリストは、事件を外側から見て伝えるのに対し、市民 ジャーナリストはしばしば事件を生き、あるいは仕事として体験し身についている知識をもとに事件を伝え、体験を他人と共有しているというのだ。

●インターネットはニッチなメディアの集合体

 アメリカの市民ジャーナリズムについての議論は、日本の市民記者との違いも気づかせる。
 前回書いたように、アメリカの市民ジャーナリズムは、限られた地域の人びとが情報を発信し受けとるハイパーローカル・メディアの方向に向かい始めた。しかし、日本の市民記者サイトは、地域コミュニティを対象にする方向にとくに向かっているようには見えない。

 05年2月に神奈川新聞がブログを併設したコミュニティ・サイト「カナロコ」を作ったが、これはそうしたものに近かった。同じようなことをやっているサイトはほかにもあるのかもしれないが、その後、地域を限ったCGMサイトが日本では話題になっていない。
 炎上させることによって注目度を高める「炎上マーケティング」という言葉があるが、マスメディアにとって変わろうとするニュース・メディアには、こうし た傾向のものさえある。いずれにしてもメディア・サイトは、アクセスを集めて広告収入を得る必要がある。ウェブを使えば不特定多数に容易に到達できる。こ うした側面のほうがむしろ重視されている。

 地理的に限ったニュース・メディアよりも、趣味的な領域のほうが、個人によるものも含めてさまざまなサイトがある。少なくともこれまで日本で勢いがあったのは、こうした趣味的なコミュニティ向けのものだったのではないか。

 先の論文も指摘していたことだが、結局のところインターネットはマスメディアではなく、大量に伝達されるニッチ・メディアなのだろう。
 多くのマスメディ アはネットで十分な収益が上げられず苦しんでいるが、それはネットがマスメディアになりうると錯覚しているからだ。韓国での米牛肉騒動のようにネットが大 勢の人を動かすことがないとはいえないが、基本的にはニッチ・メディアの集合体であり、そうした性格を理解したメディアでないと、ネットで生き延びるのは むずかしいのかもしれない。

afterword
 ウェブを行き交う情報は通信社の配信記事のようなもので、そうした膨大なニュースをチェックし、自分たちの読者に向いた話を取りあげていくのが新しいジャーナリズムだと、上の論文は最後に指摘している。

関連サイト
●ミズーリ大学ジャーナリズム学科のクライド・ベントレー准教授の論文「市民ジャーナリズム――バック・トゥ・ザ・フュー チャー?」(http://www.kcnn.org/research/citizen_journalism_back_to_the_future /)。さまざまなジャーナリズム活動を援助しているナイト財団のサイトに掲載されている。
●きわめて限定された地域のニュースサイトというのは日本でもすでに数多く生まれてはいる。これは地域のビジネス&カルチャーニュース・サイトを運営している「みんなの経済新聞ネットワーク」(http://minkei.net/


(週刊アスキー「仮想報道」Vol.618)

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