記事
2ちゃんねるとともに育ってきた日本社会
インターネット(社会)
公開日:2010/03/23 01:03
ネットでは国境がないにもかかわらず、
独特の文化やサービスが展開されている。
ネットの構造に目配りして浮かび上がってくる日本の特殊性。
●日本社会はやっぱり特殊なのか
独特の文化やサービスが展開されている。
ネットの構造に目配りして浮かび上がってくる日本の特殊性。
●日本社会はやっぱり特殊なのか
濱野智史氏の『アーキテクチャの生態系』はウェブの構造について本格的に論じた好著だが、刊行から少し経ってしまって、 とりあげそびれてきた。あるパネル・ディスカッションで濱野氏と同席することになってあらためて読んだが、やはりいい本だ。
この欄で書いてきたことにも関連しているので、取り上げておこう。
タイトルがちょっと「現代思想」ふうでむずかしいかと敬遠してしまった人もいるかもしれない。
実際この本は、アメリカの法学者レッシグの『CODE』という分厚く、内容的にもハードな本の論理を下敷きにしている。社会学から進化論に到るまでの既 存の成果を取り入れながら、おもに日本のウェブを対象に分析している。‥‥などと書くとますますむずかしそうだが、実際は、グーグルやミクシィ、ニコニコ 動画、ツイッター、初音ミク、ケータイ小説、ファイル共有ソフトなど、ウェブでお馴染みのサイトやサービスが取りあげられ、知っている人なら「ああ、あの ことか」とすぐにわかる。そうとうにわかりやすくする努力もなされている。
ウェブには、当然ながら国境はない。
しかし、不思議なことにというか、当然ながらというべきか、同じプラットホームを使いながら、日本語圏と英語圏のネットは明らかに違っている。その違い がどういうもので、それがどういうウェブ上のコンテンツを生み出しているかについてこの本のかなりの部分が費やされている。つまり、この本はウェブ時代の 日本社会論としてもおもしろく読める。
たとえば、ネットでしばしば激しい議論を呼ぶ「日本のネットはなぜ匿名志向が強いのか」。
2ちゃんねるの元管理人・西村博之氏は「本名でブログを書いている人というのはよほど自信があるのか、頭が悪いのかのどっちか」だと言っているという。 濱野氏によれば、この挑発的な言葉は、「匿名者から批判されるというリスクを負ってまで、『個』としてウェブ上で発言するのは、それを上回るメリットを見 こめる者か、あるいはそのリスク自体に鈍感な者だけだ」と言い換えられると述べている。
その「個」が日本のウェブではそもそも危うい存在だ。
梅田望夫氏はブログを「個をエンパワーする道具だ」と賞賛した。けれども日本のブログの多くは匿名で、膨大なアクセスを集めることに成功した2ちゃんね るは匿名が基本だ。「『個として発信する』というアーキテクチャ的な基盤を有していない」「巨大な内輪集団のなかに自己を埋没させるようなソーシャルウェ ア」である。
近代以降の日本は「個としての自立」を目標にしてきたが、ものの見事に失敗した。
2ちゃんねるはその端的な例である。
しかし「2ちゃんねらー」はたんなる無色透明な匿名的存在ではなくて、「2ちゃんねらー」というひとつの壮大なキャラで、だから互いに誰だかわからなく ても互いに協力することができるのだという。まさに日本的集団主義を発揮できるサイトになっているというわけだ。
●2ちゃんねるが「ネット右翼の巣窟」になる理由
2ちゃんねるは、ひとつのスレッドの書きこみが1000を超えるとアクセスできなくなる。この仕組みはひとつの話題がいつまでも続くことを防ぎ、炎上を 抑制するように思っていたが、この本によれば、それはむしろ逆らしい。
書きこみの多いスレッドは次々と消えてなくなるからつねに新たな炎上の種が求められる。
また炎上状態を持続させるために外部のサイトに「侵攻」していくことも必要になる。
こうした構造が、2ちゃんねるは「ネット右翼の巣窟」などと言われる原因になっているという。
日本のネットはこんなふうだから、「インターネットに理想を見出す人であればあるほど、なぜ米国におけるネット現象が日本のウェブ上に起きないのか、そ の落差に少なからず苛立ちや無力感を感じてしまいがち」だ。
ネットが一般に浸透して10数年経ったいま、「ネットは貧乏人とヒマ人の集まり」などといった声があがっているといった話を前に書いたが、そうした失望 の声があがる理由の一端は、たしかにこうした「落差」にある。
しかし濱野氏は、アメリカのネットが日本よりもすぐれているとは考えない。
日本のネットが生み出したサイトやサービスには理由があって生まれたもので、高度成長期に日本の集団主義がポジティヴにとらえられたように「米国的なイ ンターネット社会のあり方を唯一普遍のものと見なす必要はない」という。
●リアルな「バーチャルお茶の間」にすると人気はなくなる?
こんなぐあいに、この本は元のレッシグの本のハードさとは比べものにならないぐらいおもしろく読めるようになっている。とはいえ抽象度がそ れなりに高いので、口頭で聞くとむずかしいかも、と思っていた。しかし、パネルでの話もおもしろかった。
ユーチューブとニコニコ動画はどちらも動画投稿サイトだが、その構造はまったく違っている。
ニコニコ動画は、いつアクセスしても動画の進行にあわせてほ かの人の書きこみが現われ、仲間がいる感覚を持つことができる。「バーチャル茶の間」が生まれ、孤独な動画視聴ではなくなっている。
こうしたことは本でも書かれていたが、表示されたお茶の間の写真を見ていると、ニコニコ動画のサービスをもう一歩進めるのであれば、書きこんだ人が誰か がわかるといいのかな、などと思った。そうすればよりお茶の間らしくなる。
ただ家に帰って本を読み返してみると、これは、ニコニコ動画の魅力を殺すことにもなるかもしれないと思いあたった。
2ちゃんねるでもニコニコ動画でも、誰だかわからない匿名の書きこみが並んでいるから、書きこみやすい。しかし、「常連」ばかりになれば、初心者は発言 しにくくなる。
こう書かれている。
初心者の参入の障壁を低くしたからこそ、2ちゃんねるやニコニコ動画は成長しえたわけだ。「バーチャルお茶の間」があまりにリアルに なってしまうと障壁になるかもしれない。
相対主義に立つべきという濱野氏の主張は一見もっともだ。
しかし、日本社会の特殊性を「容認」してしまうと、個の自立にもとづいて成り立つはずの西洋型 の民主主義が、結局のところ日本では成り立たない、ということになるのではないか。成り立たなければ成り立たないでもいいが、もし成り立たないのであれ ば、ではどんな民主主義がありえるのだろうか。
濱野氏はまだ20代だそうだ。こういう本を書いた著者がきちんと持続的に仕事ができ、右のような疑問にも答えるような本を書いていけるなら、ウェブに対 する思考のレベルは格段に上がるだろう。しかし、いまの日本にはたしてそういう環境があるのだろうか。
afterword
若い書き手の力の入った本は、難解なことが多かった。ここまでわかりやすく書くことを意識した本というのはかつてはなかったような気がする。難解であるこ とをありがたがる文化が消えつつあるのだとすればいいことだ。
関連書
●濱野智史『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版)。うーん、20代でこんな本を書くとは‥‥と思ったが、 20代だからこそ出せたのかもしれない。デジタル文化のなかで生きてきて、その生態に馴染んでいるからこそこうした本ができたのだろう。
●ローレンス・レッシグ『CODE』(翔泳社)。上でハードな本と書いたが、分厚い本であることは確かだとしても、山形浩生氏らの読みやすい訳で、いくら 読んでもわからないなどということはない。ネットに関心のある人にはもはや基本書で、知的な意味でとてもおもしろい。
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.621)
この欄で書いてきたことにも関連しているので、取り上げておこう。
タイトルがちょっと「現代思想」ふうでむずかしいかと敬遠してしまった人もいるかもしれない。
実際この本は、アメリカの法学者レッシグの『CODE』という分厚く、内容的にもハードな本の論理を下敷きにしている。社会学から進化論に到るまでの既 存の成果を取り入れながら、おもに日本のウェブを対象に分析している。‥‥などと書くとますますむずかしそうだが、実際は、グーグルやミクシィ、ニコニコ 動画、ツイッター、初音ミク、ケータイ小説、ファイル共有ソフトなど、ウェブでお馴染みのサイトやサービスが取りあげられ、知っている人なら「ああ、あの ことか」とすぐにわかる。そうとうにわかりやすくする努力もなされている。
ウェブには、当然ながら国境はない。
しかし、不思議なことにというか、当然ながらというべきか、同じプラットホームを使いながら、日本語圏と英語圏のネットは明らかに違っている。その違い がどういうもので、それがどういうウェブ上のコンテンツを生み出しているかについてこの本のかなりの部分が費やされている。つまり、この本はウェブ時代の 日本社会論としてもおもしろく読める。
たとえば、ネットでしばしば激しい議論を呼ぶ「日本のネットはなぜ匿名志向が強いのか」。
2ちゃんねるの元管理人・西村博之氏は「本名でブログを書いている人というのはよほど自信があるのか、頭が悪いのかのどっちか」だと言っているという。 濱野氏によれば、この挑発的な言葉は、「匿名者から批判されるというリスクを負ってまで、『個』としてウェブ上で発言するのは、それを上回るメリットを見 こめる者か、あるいはそのリスク自体に鈍感な者だけだ」と言い換えられると述べている。
その「個」が日本のウェブではそもそも危うい存在だ。
梅田望夫氏はブログを「個をエンパワーする道具だ」と賞賛した。けれども日本のブログの多くは匿名で、膨大なアクセスを集めることに成功した2ちゃんね るは匿名が基本だ。「『個として発信する』というアーキテクチャ的な基盤を有していない」「巨大な内輪集団のなかに自己を埋没させるようなソーシャルウェ ア」である。
近代以降の日本は「個としての自立」を目標にしてきたが、ものの見事に失敗した。
2ちゃんねるはその端的な例である。
しかし「2ちゃんねらー」はたんなる無色透明な匿名的存在ではなくて、「2ちゃんねらー」というひとつの壮大なキャラで、だから互いに誰だかわからなく ても互いに協力することができるのだという。まさに日本的集団主義を発揮できるサイトになっているというわけだ。
●2ちゃんねるが「ネット右翼の巣窟」になる理由
2ちゃんねるは、ひとつのスレッドの書きこみが1000を超えるとアクセスできなくなる。この仕組みはひとつの話題がいつまでも続くことを防ぎ、炎上を 抑制するように思っていたが、この本によれば、それはむしろ逆らしい。
書きこみの多いスレッドは次々と消えてなくなるからつねに新たな炎上の種が求められる。
また炎上状態を持続させるために外部のサイトに「侵攻」していくことも必要になる。
こうした構造が、2ちゃんねるは「ネット右翼の巣窟」などと言われる原因になっているという。
日本のネットはこんなふうだから、「インターネットに理想を見出す人であればあるほど、なぜ米国におけるネット現象が日本のウェブ上に起きないのか、そ の落差に少なからず苛立ちや無力感を感じてしまいがち」だ。
ネットが一般に浸透して10数年経ったいま、「ネットは貧乏人とヒマ人の集まり」などといった声があがっているといった話を前に書いたが、そうした失望 の声があがる理由の一端は、たしかにこうした「落差」にある。
しかし濱野氏は、アメリカのネットが日本よりもすぐれているとは考えない。
日本のネットが生み出したサイトやサービスには理由があって生まれたもので、高度成長期に日本の集団主義がポジティヴにとらえられたように「米国的なイ ンターネット社会のあり方を唯一普遍のものと見なす必要はない」という。
●リアルな「バーチャルお茶の間」にすると人気はなくなる?
こんなぐあいに、この本は元のレッシグの本のハードさとは比べものにならないぐらいおもしろく読めるようになっている。とはいえ抽象度がそ れなりに高いので、口頭で聞くとむずかしいかも、と思っていた。しかし、パネルでの話もおもしろかった。
ユーチューブとニコニコ動画はどちらも動画投稿サイトだが、その構造はまったく違っている。
ニコニコ動画は、いつアクセスしても動画の進行にあわせてほ かの人の書きこみが現われ、仲間がいる感覚を持つことができる。「バーチャル茶の間」が生まれ、孤独な動画視聴ではなくなっている。
こうしたことは本でも書かれていたが、表示されたお茶の間の写真を見ていると、ニコニコ動画のサービスをもう一歩進めるのであれば、書きこんだ人が誰か がわかるといいのかな、などと思った。そうすればよりお茶の間らしくなる。
ただ家に帰って本を読み返してみると、これは、ニコニコ動画の魅力を殺すことにもなるかもしれないと思いあたった。
2ちゃんねるでもニコニコ動画でも、誰だかわからない匿名の書きこみが並んでいるから、書きこみやすい。しかし、「常連」ばかりになれば、初心者は発言 しにくくなる。
「一度形成されたコミュニティは、その内部における結束を高めれば高めるほど、新たに外部からやってくるものから見れば、その結果が逆に 『障壁』になってしまう」。
こう書かれている。
初心者の参入の障壁を低くしたからこそ、2ちゃんねるやニコニコ動画は成長しえたわけだ。「バーチャルお茶の間」があまりにリアルに なってしまうと障壁になるかもしれない。
相対主義に立つべきという濱野氏の主張は一見もっともだ。
しかし、日本社会の特殊性を「容認」してしまうと、個の自立にもとづいて成り立つはずの西洋型 の民主主義が、結局のところ日本では成り立たない、ということになるのではないか。成り立たなければ成り立たないでもいいが、もし成り立たないのであれ ば、ではどんな民主主義がありえるのだろうか。
濱野氏はまだ20代だそうだ。こういう本を書いた著者がきちんと持続的に仕事ができ、右のような疑問にも答えるような本を書いていけるなら、ウェブに対 する思考のレベルは格段に上がるだろう。しかし、いまの日本にはたしてそういう環境があるのだろうか。
afterword
若い書き手の力の入った本は、難解なことが多かった。ここまでわかりやすく書くことを意識した本というのはかつてはなかったような気がする。難解であるこ とをありがたがる文化が消えつつあるのだとすればいいことだ。
関連書
●濱野智史『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版)。うーん、20代でこんな本を書くとは‥‥と思ったが、 20代だからこそ出せたのかもしれない。デジタル文化のなかで生きてきて、その生態に馴染んでいるからこそこうした本ができたのだろう。
●ローレンス・レッシグ『CODE』(翔泳社)。上でハードな本と書いたが、分厚い本であることは確かだとしても、山形浩生氏らの読みやすい訳で、いくら 読んでもわからないなどということはない。ネットに関心のある人にはもはや基本書で、知的な意味でとてもおもしろい。
(週刊アスキー「仮想報道」Vol.621)

